期待に応える、やりかた。
今日の朝、女の子小学生2人(たぶん友達同士、4~6年生とみた)とすれ違った。
ちょうどすれ違うとき、
小学生A「今何時?」
小学生B「(スマホを見て)9時。」
小学生A「9時かあ。・・・」
っていう会話があって。
そこでチラッと自分の時計を見たら、9時03分だった。
僕の時計は4分以上早く進んでいる。そして、スマートフォンは電波時計なはず。
つまり、実際の時間は8時59分だったはずだ。
そう、おそらく、女子小学生Bは、8時59分を「9時」と言い切ったのだ。
そのとき、
「ああ、この小学生は、オトナになってる。」と、偉そうながら、思った。
彼女は恐らく、8時59分、という時間を見て、
「ほとんど」をカッコ書きにして、「(ほとんど)9時。」と言ったんだろう。
「8時59分」と伝えたとすると、聞いた側は、
「8時59分」⇒「つまりほとんど9時」と、アタマを働かせる労力を費やすこととなる。
女子小学生Bのやり方ならば、相手は何も苦労することなく、ほとんど正確な時間を知ることができる。
「秒針まで正確な数字を聞きたいわけではなく、指標となる時間が聞きたいはず」と類推して、その、声のないお願いに応えようとする、効率的な、オトナのやり方だと思う。
最近風に言えば、「忖度」というヤツなのかもしれない。
思い返せば、自分が、小学生、あるいはもっと小さいころ。
誰かしらに「何時?」と時間を尋ねられたときは、1分違わず、時には秒数まで、正確な時間を伝えようとしていたような気がする。
小さい頃って、人に頼ることばかりで、頼ってもらう機会がほとんどないから、頼られたことが嬉しくて、
「なんとか期待に応えよう!」
と、相手のお願いを言葉通り、しっかり飲み込んで、とにかく正確な時間を伝えることに精いっぱいだった、のかも、しれない。
そんな自分も、気付かぬうちに忖度を覚え、時間を尋ねられたときは、
「ほとんど」をカッコでくくって、おおよその時間を伝えることが当たり前になった。
どっちが良い、悪いといいたいわけじゃなくて。
ただ、時間を尋ねられただけで鼻をフガフガさせていたちびっ子の自分も、なかなかカッコいいじゃないか、と思ったりしました。
また、タイムオーバーしてしまった。
書くまでにちゃんと整理しなきゃダメですね。
反省します。