呼び方。
しっくりくる呼び方は、人それぞれだと思っている。
例えば、「山田太郎」という友達がいたとして、多くの人が、「太郎」と呼んでいたとする。
そうすると、なんとなく、
『「太郎」と呼ぶのが仲良しの印だ』
みたいな空気になったりして。
だから自分も「太郎」と呼んでみるのだけど、毎回、呼ぶたびにむずがゆい気分になったりすることがある。
そういう時ってきっと、
自分の中の「山田太郎」という人物像が、「太郎」という感じではないのだろうと思う。
それぞれにそれぞれの、「山田太郎」との関わり合い方、大きく言えば思い出、みたいのがあるはずで、
その中で出来上がった「山田太郎」像が、
その人にとっての、間違いない「山田太郎」なのかな、と。
だから、Aさんにとっては「太郎」、Bさんにとっては「山田」、Cさんにとっては「山ちゃん」、Dさんにとっては「ダーヤマ」、Eさんにとっては、「タロー」、Fさんにとっては「山田太郎」…みたいに、自分のイメージにしっくりくる呼び方は、人それぞれなのが当たり前で、
無理してよく呼ばれているあだ名でその人のことを呼ぶ必要なんてない、と思っている。
自分も下の名前で呼ばれることが多いけど、時々苗字で呼んでくる人もいて、それはそれで、ぼくになにかしらのイメージを持ってくれているようで、嬉しかったりする。
まあ、最初のうちは、よく呼ばれている呼び方でいいと思うんだけど。
いずれしっくりくる呼び方が見つかれば、その人達同士のオリジナルな関係性が結ばれた感じがして、気が楽になるような気がします。