雑多な日記的自分矯正ブログ

堕落していく生活が、少しでもよくなってくれることを期待して始めました。

語るに落ちる。

「語るに落ちる」

という場面は、人と話せばしばしば出会う。

話していなくても、隣の席で、みたいな事を含めれば、ほぼ毎日に近いくらい、出会う。

もちろん、自分がしてしまうことも含めて。

 

自分の中での「語るに落ちる」は、墓穴を掘るというニュアンスもあるけど、

「そこまでは思ってもないことを、そう思っているように言ってしまうこと」ことも含めて、である。

 

イラッとしたことを、激怒したように話したり、

「いや、それはねぇ・・・」みたいな場面を、「ふざけんじゃねぇ!クソ!」レベルで話したりすること。

ウルッときたことを、全米が泣いたように話してしまうこともそう。

 

リップサービスみたいなものなんだろうけど。

大げさに言うことで、「笑ってくれてもいいんだよ」見たいなメッセージにはなるだろうから、アイソ笑いくらいの担保程度には機能してくれる。

 

でもまぁ、自分の場合は、悲しくなる。

帰り道、独りになった瞬間とか、寝る前とか。

「何であんなこと言ってしまうんだろう」と。

 自分はそこまで卑しいヤツじゃないのに。自分はそんなに感動上戸じゃないのに。

 

自分をよく見せようとするときも、卑下して見せようとするときも、

結局、そこに自分本人はいないんじゃなかろうか。

 

と、分かっていても、時々やってしまう自分が悲しくなりますが。

 他の人も、帰り道、同じように悲しくなったりしないのかなぁ。

 

いずれにせよ、「語るに落ちない」人も、

語るに落ちまい、と努力している人なんじゃなかろうか。

どの道、すばらしいです。カッコいいです。