雑多な日記的自分矯正ブログ

堕落していく生活が、少しでもよくなってくれることを期待して始めました。

目覚まし。

悲しいくらいに朝起きれなくなったカラダをなんとか、と、何ヶ月か前から、止まったままの時計に電池を入れて、主に目覚ましとして使い始めた。

 

「まぁ、携帯のアラームがあるからあんま意味ないよな。」と、自分でも思っていた。

気休め、というか、自分の内在的なモチベーションを高めるためで、実質アラームの回数を一回増やしただけ、って風に思っていた。

しかし、嬉しいサプライズで、何故だか、起きれない、ってことはなくなった。

 

回数を重ねると、もう「目覚まし時計」をセットすることに、非日常感はなくなった。

だから、モチベーションがあがっているってことが理由というには、ちょっと合点がいかない。

 

「目覚まし感」なのかも、と思いつつある。

安っぽい感じの「ピピピピッ ピピピピッ」って音なんだけど。

子供のころ―つまり、ちゃんと寝てちゃんと起きていた時代―に、起こされていた音。

携帯のアラームでもあるけど、飽くまでアナログ的なデジタル音、って感覚がする。

 

本物にはもっと、安っぽさがある。

でもそれでずっと覚えてきたもんだから、カラダにはあっているのかもしれないなぁ、と思うのでした。

 

結局自分も、アナログネイティブなんだ、ということなのでしょうかね。

 

定番。

今日の帰り、電車から降りた人がハンカチを落とし、後ろの人が拾って渡しに行く、というシチュエーションに出会った。


「ベタ」の代表例ともいえる展開。

でも、ちょくちょく見るなぁ、と思った。


自分の中で、それと並列、あるいはもっと王道の「ベタ」として、

「バナナの皮を踏んで、滑って転ぶ。」

があるけど、これは「ベタ」のようで滅多見ない。


なんで、ハンカチの「ベタ」はよくあるのかと考えてみた。


軽い。落としても音が鳴らない。ポケットから何か出す時一緒に出ちゃう。目立たない。 


この辺りだろうか。


何より、そうかあ、と思ったのは、

ハンカチをちゃんと持ち歩いている人が、落とす、ということ。

拾ってもらった人がいつも礼儀正しい人に見えるのは、そういうことだったなぁ、と思い知りました。







定番。

今日の帰り、電車から降りた人がハンカチを落とし、後ろの人が拾って渡しに行く、というシチュエーションに出会った。


「ベタ」の代表例ともいえる展開。

でも、ちょくちょく見るなぁ、と思った。


自分の中で、それと並列、あるいはもっと王道の「ベタ」として、

「バナナの皮を踏んで、滑って転ぶ。」

があるけど、これは「ベタ」のようで滅多見ない。


なんで、ハンカチの「ベタ」はよくあるのかと考えてみた。


軽い。落としても音が鳴らない。ポケットから何か出す時一緒に出ちゃう。目立たない。 


この辺りだろうか。


何より、そうかあ、と思ったのは、

ハンカチをちゃんと持ち歩いている人が、落とす、ということ。

拾ってもらった人がいつも礼儀正しい人に見えるのは、そういうことだったなぁ、と思い知りました。







お題。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」


なるものがあった。

毎週ごとにお題があって、面白いなぁ、と思っていた。


はてなブログって、始めるまで全然知らなかったけど、ブログを書く人もたくさんいて、しかも内容量もすごい。


ある種ビジネスとして取り組んでいる人も多いのかなって思っていたけどーまあ少なからずそういう人もいるのではあろうがー結構、思考のサイクルワークとしてやっている人が多いのかもしれない。


そういう点において、毎週お題を勝手に提供することで、考えてみようかな、という気にさせるところはあるだろうから、素晴らしい効果があるのでは。


週一、その週のお題だけのブログを更新する習慣にしている人も、いるのかもなあ。


運営する人と更新する人で支えあっているような感じが、すごく良いなぁ、と思いました。


ちなみに、「私がブログを書きたくなる時」は、

自分の考えたことを残したい時。

謝罪。

昨日の失言してしまった人に、メールで謝り、今日も来てくれたので、直接謝った。


そんなん気にしなくても大丈夫だよー、と優しくしてもらった。


全く気にされていないようなので安心したが、これからは気をつけようと思う。



失言。

今日、バイト中、優しくしてくれているお客さんに名刺をもらった時。
なんか結構偉い感じの役職名だったので、
「すごそうな役職ですね」と伝えようとして、
「すごく偉そうですね。」
と、言ってしまった。

別に怒られたりしないで、何事もなかったように過ぎていったけど、なんてセリフを吐いてしまったんだ、と、後悔、後悔。

「偉そう」という表現自体に侮蔑の意味はないんだろうし、間違った使い方とは言わないのかもしれないけど。
まあ、使われ方としては「なんか高飛車だなあ」みたいなニュアンスが多いから、結果的に失礼だったなあ。

語彙が足りないと、不用意に傷つけてしまうことがあるということを、身をもって体感しました。

勉強しよう。

サボり。

最近ちょくちょくサボるのが当たり前になっていた。

毎日更新すると言っていたのに。


ブログを書くことをサボっている、と思っていたけど、

考えることをサボっていたのだな、と、分かった。

というより、思考停止状態がほとんど、という感じだろうか。


情報を見て、「へぇー」で終わっている毎日な気がしてる。

長らくそうなんだけど、ブログを初めて少し出来てきていた部分がまた戻ってしまったようで。


無理やり考えるっていうのはどうかな、とも思うけど。

山手線のやつとかのを思い出すと、日常生活の中で思考が働いていたような気がする。


思えば、ブログ何書こうかな、って考えて、周りの状況からヒントを得ていたことも多くあった。

無理やりなのかもだけど、意外とそういうやり方だと、生活の中で自分が何か考えられるから、良かったのかもなあ。


明日はそうしよう。